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佐倉城址公園の見どころ

この公園は、馬出し空濠・銅櫓跡・一の門跡・兵営の便所跡・正岡子規の句碑・訓練用の12階段など、江戸時代から明治時代、さらには昭和初期の第一次・第二次世界大戦の面影も残している貴重な城址のある公園です。
ただのんびりするのも楽しいですが、園内には説明書きもたくさんあるので昔の光景を思い浮かべながら情緒に浸っても楽しいかもしれませんね。

馬出し空濠

佐倉城址公園の濠の埋め立て跡
城門前に築いて人馬の出入りを敵に知られないようにした土手を馬出しといいます。
この馬出し空濠は、明治初期から連隊を造営するために埋め立てられていましたが、昭和46年の発掘調査によって長さや深さなどが確認され、復元されました。
復元に当たっては当時の深さよりも若干浅くなっています。

銅櫓跡(どうやぐらあと)

銅櫓のあと
この銅櫓は、佐倉城を建てた土井利勝が将軍から拝領したもので、江戸城から移築されたものとされています。造ったのは太田道灌といわれています。

一の門跡

金粉をすりこんだ石が敷かれていた一の門跡
佐倉城のメインの門とも言える「一の門」の跡地です。
一の門とは現在でいう「門」ではなく、木造で本瓦葺の二階建ての建物でした。

佐倉城の礎石

この石を元に建てたと言われている
佐倉城は、江戸時代初期の元和元年に土井利勝が築きましたが、その際にこの大量の石を基礎としていました。
明治初期に陸軍が城を取り壊し兵舎を建てましたが、その際にもこの石を使った基礎を転用しました。

兵営の便所跡

生々しいトイレ跡
こちらは便所の跡で、土台のみ残っています。

佐倉陸軍病院跡

現在では更地しかない病院跡
佐倉病院は明治7年に創られた病院で、佐倉屯鋭営病室→佐倉営所病院→佐倉衛戌病院→佐倉陸軍病院と名前が変わっていきました。

正岡子規の句碑

病気のなか訪れた正岡子規
「常盤木や冬されまさる城の跡」
明治時代に俳句・小説・文学評論など様々な文学の分野において活躍した正岡子規の句碑です。
正岡子規が佐倉に来たのは既に病魔に蝕まれていた26歳位の時で、当時、本所から佐倉間に開通したばかりの総武鉄道に初乗りして訪れ、この句を詠んだとされています。
佐倉ゆかりの人間国宝に浅井忠という洋画家がいますが、その浅井忠と正岡子規が互いに敬愛した仲だったことからも佐倉と子規の関係が深いことがわかります。

訓練用の12階段

戦争の雰囲気が残る貴重な遺産
陸軍兵の兵士が高所から飛び降りる訓練をするために造られた階段です。コンクリートで出来ているので壊すのが大変で残されたと考えられています。

兵士が文字を掘り込んだモッコク

兵士が書いた落書きが残っている
モッコクとは小喬木のことで、このモッコクは高さが11メートル以上あり、モッコクとしては巨大なものです。
この木に昭和初期の兵士が「昭和十八年十月」「砲隊」などの落書きをしたものが残っています。

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